しかし、この頃の幕府の財政は逼迫しており、下級武士や中間(雑兵)などは、簡略化した羽織を半被を着ていました。
では、半被が法被に転じたのは、なぜでしょう。これは推測ですが、士農工商の身分制度がある時代に商人が着ている羽織よりも劣る半被を、法被(禅宗の高僧が座る椅子の背もたれの部分に掛ける金襴などの掛け布)の高貴なイメージと重ねることで価値を見出したかったという意図があったのではないでしょうか。
これは武家と禅宗の繋がりからも推測できます。禅の日本伝来というと鎌倉時代に臨済宗を中国から伝えた「栄西」が知られています。
この頃は、保元の乱、平治の乱から治承寿永の乱と続く、戦乱の時代。魂の救済を求める人々が溢れかえっていた背景もあり、浄土と禅の二宗派が時代を支配し、僧兵の武力を通じて政治権力を持つようになりました。
また、幕府が仏教の一般大衆化を推し進めた時代でもあります。このような状況の中で、浄土宗と武家の絡みの無い一方、禅宗は武家社会にうまく溶け込み、武士階級に受け入れられたのです。
これにより、禅宗は武家政治に深く関わり、茶道・華道などの文化と共に大きく発展してきたのです。
江戸時代の士農工商という階級制度にありながら、商人より劣る衣服を身に纏う空しさから少しでも逃れようと、半被(はっぴ)と法被を重ね合わせたのではないでしょうか。
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